ブラジルに留学している、仰星コース1年生 渡辺 玄くんより、レポートが届きましたので、ご覧ください。
こんにちは。渡辺 玄です。ブラジルに来て二ヶ月が経とうとしています。ようやくポルトガル語が少しわかるようになり、少しずつですが、コミュニケーションがとれるようになってきました。
しかし、相変わらず朝と昼の気温差に慣れません。朝は19度くらいなのですが、昼は34度くらいまで気温が上がります。一か月前のように、大きく体調を崩すようなことはありませんが、まだすこし体調不良が続いています。
こちらの豪雨と雷は凄まじく、はじめて経験したとき最初、僕は、戦争でも始まったのかと思いました。豪雨の影響で雷が落ち、木が倒れて、電線が切れて電気が止まってしまいました。こちらでは、豪雨はよくあるそうですが、停電することは滅多にないらしく、ホストファミリーは、「これは異常だ」と話していました。人生で初めて停電を経験したので、びっくりしました…。
一方、雨の量が減っていて、年々ピラシカバ川の水がへっていて魚が減っているとも聞きました。日本の気候も同じかもしれません。
今月は、文字通り様々な体験をしました。こちらに来てから、ほぼ毎週末、何かのパーティに参加しています。どのパーティも趣向やテーマが凝らされていて本当に楽しく、パーティに参加している人たちを見ているだけでも嬉しくなります。ブラジルの方は本当にパーティが生活や人生の一部として好きなんだ、と感じざるをえません。
僕は第二次世界大戦中の日本について、ポルトガル語でプレゼンをしました。最初にその課題について先生から聞かされたとき、第二次世界大戦のことについては概略をもちろん知っていますが、その知識をどう翻訳して話せばいいのか、途方に暮れました。
考えた結果、かなり省略して、1941年12月8日の真珠湾攻撃から戦争がはじまり、1943年のミッドウェー海戦、そして、広島、長崎の原爆投下、終戦という流れで話すことにしました。僕は、ブラジルの高校生に伝わるかどうか、正直不安でした。僕のポルトガル語のレベルはそんなに高くなく、翻訳したとしても、その内容が伝わるかどうか分からなかったからです。
僕の発表は、たどたどしく、間違いだらけのポルトガル語でしたが、先生やクラスメートたちはちゃんと聞いてくれて、最後には拍手してくれました。 先生からは、「すばらしい発表をありがとう。」と言われ、良かった、ちゃんと伝わったんだ、と感じ、嬉しかったです。
その時に、「日本はこの戦争について、まだ怒っているの?」とか、「アメリカはまだ日本にとって敵国?」という質問が出て、そのやりとりの中で、この戦争に対するブラジル側の考え方が少しわかった気がして、とても面白かったです。親善大使としての役割を果たすことができたと感じた、とても良い経験でした。ちなみに、ブラジルは、大戦中は連合国側で、現在のパートナーはアメリカです。これ以降、社会の授業で、「日本の文化について、この授業中に何か書いて教えてくれ」と言われることがふえました。
この間は、日本の天皇のことについて教えてくれと言われました。それに対しては、僕の知っている範囲で答えました。これからも、この調子で、少しずつ日本のことを紹介していきたいです。
歴史の授業の中でも、時々、日本に関する事柄が出てきて、ブラジルは日本にとても関心があるのだな、と感じています。
9月18日、こちらのニュースで、安保法案が可決されたことを知りました。日本のニュースが入ることに驚きました!
ブラジルの人は日本に関心がある割には情報は少なく、ホストファミリーによると、このニュース以前にも、日本のニュースが入ってきているそうですが。ブラジルも、この法案の重要性を感じているのだな、と感じました。ホストファミリーに、「日本の国会は今このような状態だけど、ブラジルの国会はどのような感じなの?」と尋ねたところ、「日本よりも荒れている」と言われました。
数日後、テレビで議会中継がやっていたので見ていたのですが、討論が討論ではなくなっていました。ブラジル側は、日本以上にかなり議会が荒れることを知り、とても驚きました。
8月28日から30日まで、交換留学の受け入れ団体の地区オリエンテーションに参加しました。